夜 の ヒット スタジオ。 夜のヒットスタジオ出演歌手一覧

ザ・ヒットスタジオ(火) | MBS AM1179 FM90.6

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ダン池田とニューブリード(指揮:) 1969年3月31日 - 1985年3月25日• (昭和60年) (10月 - ) 古舘伊知郎 1985年10月2日 - 1990年10月3日 第878回 - 1131回 10月2日、元・アナウンサーの古舘伊知郎が4代目の男性司会者として登場。 (1976年2月16日)• 一部資料では通算放送回数を「1133回」とするものがあるが、1990年3月28日及び4月4日の放送はなかったことから実際の通算放送回数は「 1131回」である。

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それ以外の復活版では、1991年4月3日放送分で若干オケピットの並び方が違うが、楽譜を置く台などは当時のデザイン。

夜のヒットスタジオ出演歌手一覧

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「DESIRE-情熱-」 1986年2月5日、初披露。

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第1131回(最終回) - 1990年10月3日(3時間特番)• クリスマス 1994年12月24日、クリスマス・イヴの放送ではオープニング・メドレーで 「ママがサンタにキッスした」そして本編では「TERMINALまでのEVE」 を披露。 SUPERでは演出も担当。

中森明菜 in 夜のヒットスタジオ[BOXセット][DVD]

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出演の度に話題になる衣装、シングルB面曲やアルバム収録曲、恒例のオープニング・メドレーの歌唱シーンも収録! 数々の賞に輝いた1984~1988年のFNS歌謡祭の貴重な映像をダイジェストで収録。

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これを契機に海外アーティストの出演機会が増え始める 3月31日、ザ・ピーナッツ「サヨナラ」企画(初の「サヨナラ」企画) 司会の朝丘雪路、レギュラーの野沢那智が番組を降板。

夜のヒットスタジオ

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なお、一応は 「対決! 大関・が特別出演 8月7日、谷村新司・佐藤隆が「12番街のキャロル」で「対決」 8月14日、が喉の不調のため、当日歌唱予定だった新曲「」の披露を見合わせ、ライブの様子を撮影したビデオを放送する処置が採られる。

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「DELUXE」以降直後の1985年4月には、とを同時に番組に招聘し(シナトラは来日中だったため、東京のフジテレビのスタジオ、ティナは衛星生中継でそれぞれ出演)、海外アーティストの出演を増やすな当番組の一時代を築いた。

5月11日(月)から 4回にわたり、CS「フジテレビTWO」で『夜のヒットスタジオ 西城秀樹出演回傑作選』が放送!

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また、歌手・司会者席の後列に座っていることも多かった。 ダーリング(1978年7月24日) DISC3(1978年 - 1979年) [ ]• VE :鈴木正義、若月博光、西野健二、他• 1989年9月のDELUXE終了を機に、担当の『』のディレクターとして異動。

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1985年4月から1987年まで• (昭和61年) 1月29日、大関・夫妻が特別ゲストとして登場 2月5日、露木茂、古館の代理司会を担当(芳村・露木は、1986年まで『FNS歌謡祭』司会を務めていた) 2月12日、初登場「」 3月5日、初登場「」 3月26日、放送900回突破を記念して、歴代の出演歌手を集めての2時間の総集編企画を組む。 森班は本来「」担当の演出であるため、演出は渡邉が主に担当した。

夜のヒットスタジオ

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当初はモノクロ、第4スタジオからの生放送 ・初代司会: 前田武彦・芳村真理 ・レギュラー: (1974年10月まで)、アナウンサー(恋人選び担当)、 ・演奏: ・高橋達也と東京ユニオン(1968年11月 - 1969年3月、隔週で担当) ・第1回出演者:・・・ほか ・ コンピューター恋人選び 、 他人の歌OPメドレー、 歌謡ドラマ、 ラッキーテレフォンプレゼント(乱数表方式)、 みんなで歌おう、 想い出の歌 11月11日、男優での第1号歌ゲスト・初登場、・・らも初登場 11月25日、・初登場 12月16日、・初登場 12月23日、・初登場 (昭和44年) 「恋人選び」コーナーなどで中村晃子(1月27日)、いしだあゆみ、小川知子(2月24日)が突然放送中に号泣。 憎みきれないろくでなし(1977年10月24日)• 1975年3月まで• (1981年5月11日) キャンペーンソングの『渚のラブレター』をがスポンサーの『夜のヒットスタジオ』で歌うことが不可能なため代わりに歌われた『渚のラブレター』のB面曲。 VTR編集:星野正則()、他• 平日朝のワイドショー番組『』との兼務の形で制作・演出を担当。

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(1977年1月10日)• 大道具;竹島正夫、比嘉亘、他• なお、童謡演奏時(『SUPER』ではメドレー終了後)には、放送日時点でのネット局を紹介するロールスーパーが表示されていた。 植木装飾:森慶申• 他の相違点としては『山口百恵 in 夜のヒットスタジオ』・『中森明菜 IN 夜のヒットスタジオ』に付属していた「本放送時の世相を説明したアバンタイトル」が排除されていることが挙げられる。

沢田研二 in 夜のヒットスタジオ

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(1977年5月23日) 曲の後半スタジオにスモークが焚かれたが、量が多すぎて沢田の姿が見えなくなる部分があった。 (1986年6月18日)• 麗人(1982年2月15日)• (1986年6月4日)• プロデューサー・ディレクター [ ]• 布施はひさびさに実父と感動の「ご対面」 11月、エンディングの新コーナーとして「愛のスターテレフォンプレゼント」スタート(〜76年3月まで) 12月1日、初の「4スタライブ」実施(初登場「ひとり暮し」) 12月8日、戦前派の大物・が特別出演(歴代出演歌手中最高齢での出演) 1976年2月16日、が歌手として登場 1976年3月1日、当日のゲスト歌手の一組、のリードボーカル・ラン()の病欠に伴い、当日披露予定となっていた新曲「」の歌唱が見合わせる措置が採られる (昭和51年) 井上順 1976年4月5日 - 1985年9月25日 第387回 - 877回 井上順が司会に参加 このころから、原則として全曲フルコーラスで歌われるようになる。 ニューブリードの起用と同時にオケピットの配置も(ひな壇に近い順番から)吹奏楽器・ドラム及びギター・弦楽器(及び1978年からのシンセサイザーなどの演奏補助)という並びに変更された。

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4 司会のみの出演。